塾長コラム 〜教育の2つの軸〜
教育の2つの軸
教育における両極とは「自己実現」と「社会化」であると思います。
「ありのままの自分を肯定され、自分で自分のことを認められる」
「ありのままの自分をいったん否定され、社会に適応できる人間に矯正される」
これらのどちらもが教育には必要で、しかしそれぞれが相反するもののように見えます。
教育とはつまり、その内部に相反する2つの要素が内包されている概念である、
ということができます。
「社会化か、自己実現か」
けっきょく、「ゆとり教育VS詰め込み教育」といった教育論争も教育概念が内部に孕む矛盾によって引き起こされてきたものだと思います。
「個人を全面的に認めてあげて真の自己を実現させてやる」ことと「社会的に有意な人間にしてやる」ことの対立。
そのどちらか一方だけが唯一の正解だ、とするところから終わりのない不毛な教育論争に沈み込んでしまうのでしょう。
しかし、この両者は本来対立するものでしょうか。
一木学舎が考える教育の在り方とは、「正しい学問の方法を身に着けることによる自己実現、そして社会化」といったものです。
つまり、自己実現と社会化を対立するものと捉えるのではなく、一本の軸における位置上の差異だと捉えます。
「自己実現を経由して社会化に至る」ということです。
まずは学問の正しい方法を身に着けることによって「自分が何者であるか」への客観的な自覚が芽生え、次に「そのような自分が社会のなかでどのような役割を果たせばいいのか」ということに対する考察へと向かうのが理想であると考えます。
※このプロセスは逆向きに起こることもありえます。すなわち、自己が確立していない状態で社会に出てみたら本当の自分が発見できた、というケースです。「自己実現→社会化」という流れは一方通行のものではなく、同じコインの表裏のようなものではないでしょうか。「自己と社会」といったものは断絶し独立した概念ではなく、1つの実体の光の当て方による見え方の違いに過ぎないのです。
難関大学突破に必要な要素
ここで言う「学問の方法」とは大学受験にまでつながる思考法を含みます。
抽象化と具体化、事実と意見の区別、比較の方法など主観や思い込みを排した、客観的・科学的な思考方法が必要です。
各教科の基礎知識に加えてこのような学問の方法を習得することで、難関大学突破に必要十分な学力は自ずと身に付くものだと考えます。
一木学舎においては、たとえ生徒さんが現在小中学生でも、最終的には大学入試に至る1つの道の途上にいるとして、それに向けて今何をするべきか、と考えカリキュラムを組み指導を行ないます。
難関大学入試突破のために求められる抽象的思考力、学問的方法が山の頂上だとして、
常に「いま、山の何合目にいるのか」という観点から授業を組み立てます。
例をあげれば、現在、公立中学校の英語授業では英文法の指導は基本的にされませんが、品詞や文の要素といった概念に慣れていくことは抽象的思考力を鍛えるためにきわめて重要なので、一木学舎の英語指導では文法概念の習得とその活用にもっとも力を注いでいます。
手軽な「コツ」や「テクニック」で学校のテストの点が楽にあがって楽しいな。
そのようなレベルが私たちの目指す最終地点ではない、ということをご理解いただけましたら幸いです。